こんにちは。
猫飼よしのです。
私の住む地域では、緊急事態宣言が延長となりそうです。
そんな中、先月4月の地元広報誌には5月の終わり頃に開催される「聖火リレーの出発式」が掲載されていたので、
緊急事態宣言の延長を受けて、さてどうなるかな?と思っていたのですが、
何やら、人が集まりにくい場所に変えて実施する?とか、
どうやら開催可否について未だに揉めているようです。
開催まであと2週間と少しといった所、
関係者の方々の心労は大変なものでしょう。
さて、
ものすごくシンプルな疑問なのですが、
聖火リレーとは、「緊急事態宣言で市民が活動自粛をしていても開催するべき」ものなのでしょうか?
東京オリンピックの聖火リレーのコンセプトは「希望の道を、つなごう」だそうです。
震災復興など、様々な意図をもって行われることは、もちろんなのですが、
ハッキリとした原因のわかる理由で毎日新型コロナウィルスによる死者がでており、
真剣に様々な努力をすることにより防ぐことが出来るかもしれない状況で、
それらを押してでも、イベントを実施することに意義があると、堂々と言えるのでしょうか?
誰のために実施しようとしているのか?
と、ついつい思ってしまいます。
会場に応援に行っても、食事をするわけじゃない、
だから大丈夫なんて、本当に思っているとは思えません。
それで大丈夫なら、こんなに蔓延して、1年以上にわたって自粛生活しているはずがありません。
聖火リレーの走者として準備をされてきた方や、
支援する人々、団体、
色々あるとは思います。
けれど、それは優先順位の第一位、なのでしょうか?
大きなクラスターも発生せずに無事に開催終了したとして、
とある一家でイベントに参加した大黒柱のお父さんが、どこからか新型コロナに感染し重症になるかもしれません。
そして、次々にその一家の家族全員が新型コロナに感染し、入院もできずに大変苦労したり、
その後、半年間後遺症に悩まされる事態になる、ということは100%ないとは言えなくて、
どちらかと言うと、このご時世、とってもあり得ることだと思うのです。
逆に、絶対に誰一人コロナに感染せずにイベントが終了した、とは思えないです。
それなら、実施したイベントは成功であり、実施する価値があったものなのでしょうか?
聖火リレーに限りませんが、「きっと大丈夫」という根拠のない気のゆるみが、
きっと一番の「いつまでも収束しない理由」なのではないかな。
この「きっと大丈夫」に危機感を呼び起こしてくれるものは一体何だろう?と思います。
こうして書いていても、何を当たり前のことをツラツラと書いているんだろう、と思うんです。
けれど、イベント開催になったら、きっと見学に行く人が探せば周囲にいるんだろうなあ~。。。
最近、こういった新型コロナに関するニュースや決定を見聞きする度に
行き場のない「コロナモヤモヤ」が生まれているように思います。
コロナ鬱とか、コロナ離婚とか、コロナモヤモヤとか。
早く手放せる日が来ますように。
今日もお越しくださりありがとうございました。
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